2013/12/25

日本に来た外国人研究者とのディスカッション 

本日、日本に来て数か月のまだ、20代から30代の若いリサーチャー(博士)たちとディスカッションを1時間ほど英語でやった。  

参加者6名の内訳:ナイジェリア(男性)、イタリア(男性)、インド(男性)
            スウェーデン(女性)、オーストラリア(男性)、スペイン(女性) 

まだ自己紹介もしないうちから「研究費を上げてほしい。僕の研究は文系とちがって基礎研究だから実験にお金がかかるんだよ」と唐突に話しかけてくるのはパキスタン系オーストラリア人研究者。 そうとうフラストレーションがたまっていたのか、いきなり、彼はこうきりだした。  
「日本では何をするにも言葉の問題があって、ちょっとしたことでも1,2時間は待たされる。
日本人はわれわれに日本語を学ぶことを期待するよりも、日本人が世界の共通語であり、科学の世界では普通に使われている英語をもっと学ぶべきではないのか。」

彼の独壇場になってしまいそうだったので、ここで、ディスカッションのトピックとして「あなたたちのような優秀な研究者は各国で研究の機会があったと思われるが、なぜ日本という国を選んだのか」というテーマに絞ってひとりひとりに発言してもらった。 

20代半ばと思われるういういしいスウェーデン人研究者は日本はエキゾティックとかインターナショナルというイメージがあって、研究者としては国際経験があることが望まれるので、日本を選んでみた、と恥ずかしそうに言った。 

このスウェーデン人研究者が「それに日本はInnovativeだから」とも言ったので、「どのような点がInnovativeなのですか」と聞くと、「それは、えーと。」と言葉が出てこない。
「何か具体例をいただけますか」と聞くと絶句。
オーストラリア研究者が、「僕ならSONYとか車だと思う」と言った。

 
スペインの研究者は日本に来た理由は日本の受入の先生のプロジェクトがとても素晴らしいからとのことでインドの研究者もそれに賛同していた。 

インドのかわいい感じの研究者は「僕は周囲の人から日本には行くなよ、日本に行ったら日本語ばっかりだぞ。言葉が通じないぞと散々言われたが、実際来てみると、受入の先生が英語で話してくれるし、僕の英語もそんなにうまくないけど、たいていの人はわかってくれようとするのでうれしい。」とのこと。
インドの研究者は本当にずっと笑顔で「毎日違うことを、違う環境でしかも国際的な環境でやれるということがとても楽しい」と本当に満足しているようだった。 

イタリアの研究者は最初からずっと落ち着かない様子。 
退屈すると紙に落書きとかしている。
たぶん30代後半だとは思うがちょっと子供っぽいところもある不思議君だ。
彼は日本の哲学、特に20世紀の日本の哲学(西田幾多朗とか)についてが研究テーマだ。
彼が日本に来た理由は「日本のことを勉強するには日本に来なければわからない」と言った。
なるほど。 
私が「あなたの研究テーマは「無」Nothingnessとかエキゾティックな日本的テーマだから日本語もさぞおできになるんでしょうね。」と言ってみたら「日本語はあんまり」とのこと。
私が「ではどうやってNothingnessについて勉強するんですか?座禅でもしているのですか?」と聞いたら「いや、それはロジカルにディスカッションしている」とのこと。 
日本の哲学については日本語でも不可解な表現が多いのに、それを英語でどうやってロジカルにディスカッションしているのだろうか? 
またこの研究者はリサーチャーになった動機は何かと聞かれると「他の仕事をするのがいやだったから」と淡々と言ってのけた。 
また「尊敬する哲学者は?ソクラテスとか?」という問いにも「いないね。」 とあっさり。 
「哲学と宗教の違いは何ですか?」という問いには「ここでは答えられないね」 と言われてしまった。 

スペインの研究者は本当に日本でやりたかったプロジェクトができてうれしくてしょうがないといった感じだった。
言葉は少なかったが(英語は苦手のよう)科学に対する純粋な熱意が彼女の体全体からあふれていた。 

ナイジェリアの研究者はこのグループの中で一番大人で紳士的で洗練されているという印象を受けた。
彼はまず笑顔でしかも日本語で「よろしくお願いします」と言ったあと、笑顔で「僕は黒人だから肌の色でみんなにびっくりされると思っていたけど、わりと普通に受け入れてもらえて親切にしていただけてうれしいです」と感謝の言葉から会話を始めた。
日本文化を良く知っているのかこの人の人柄なのか、こういう人ならみんな親切に「おもてなし」したくなる。 
ただ発音が独特で早口だったので、彼の言っていることをあまり理解できなかったのが残念だ。 
私が彼はすごいなと思ったのは、最後にディスカッションの内容を発表するプレゼンターが必要なのだが、それはオーストラリア研究者が自らやりたいと言ったのでそのはずだったが、あと5分というところで、それを彼にやってくれと頼んだ。 
このナイジェリアの博士はにっこりOKと言って、オーストラリア人研究者が超早口でしゃべる内容をさっとメモにとって、にこやかに檀上に立ち、見事に結構複雑だったディスカッション内容をまとめてくれた。
彼は合間のちょっとした数分などiPadで情報チェックをするなど、何かしらやっていた。 
ディスカッションが終わると日本語で「どうもありがとうございました」とまたにっこり。 
素晴らしい人間力!
彼の今後の日本での研究の成功は目に見えるようだった。 
  

さて、ちょっとやんちゃでとがったオーストラリア人研究者が言ったことで印象に残っているのは「僕が医者(Medical Doctor)ではなくて、リサーチャー(Doctor of Philosophy)になろうと思った動機は医者だと救えるのは限られた時間で数人だったり、多くても一つのコミュニティだったりする。でもリサーチャーなら、たとえばペニシリンの例をとればわかるように、一つの発見で多くの人たちを救える」 という言葉。

これら6人の個性的なリサーチャーが日本での経験を経て、どんな研究成果を出してくれるのか今後が楽しみになった。 申請書を読んでの印象と実際会ってみた印象は全く違っていた。 
やはり人は会って話してみなければわからない、それがコミュニケーションの基本中の基本だと実感した。  
 







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