2013/07/28

サイエンスの世界の共通語

先日メールにイランからのリサーチャーの「学位記証明書」(=博士号=Doctor of Philosophy取得証明書)が添付されており、これでOKでしょうかというある国際機関からの問い合わせがあった。

 
添付のPDFを印刷してみると、それは生まれて初めて見る、アラビア語で書かれた「学位記証明書」だった。これはもう、私の理解をはるかに超えて、もう「芸術作品」にしか見えなかった。 
何度見ても、アラビア語の文章はどうも右から読むらしいということしか私にはわからなかった。 
添付の英訳にはこう書いてあった。  

This is to certify that Mr. XXXXX, son of Abolgxxs, ID. Card No. 1234 issued at Tehran, born in 1978, completed the Doctorate Degree Course in the field of Energy Engineering on July 19 2006 at Islamic Azad University Science & Research Branch.....

 
この世のものとは思えないアラビア語の次に見た英文はなんとわかりやすいことかと英語という共通語に感謝した。 しかし、学位記の証明書に「...の息子」と書かれているのも新鮮な驚きだった。
この申請者は日本の大学ですでに研究者としての実績があり、推薦機関の徹底したスクリーニングを経て選ばれた人であった。そのスクリーニングのプロセスの中にはテレビ会議システムを使っての英語でのインタビューもあることを推薦機関の担当者から聞いた。 やはり英語で意思の疎通ができないと研究面はもちろんのこと、生活の面においても困り結局は帰国するはめになるケースが多いからという。   

サイエンスの世界の共通語は英語だ。
どの国の人たちも英語、ときには数式でサイエンスについて語り合っている。
自分たちの発見を英語でわかりやすく世界に伝える能力がサイエンスの世界では生き残れるかどうかのキーとなるようだ。

数多くの申請書を読んでいくうちに、多くの申請者が数か国語ができることに驚かされる。 
あまりにもびっくりした最近の例は、父はイタリア人、母はオーストラリア人の申請者で国籍は二重国籍。イタリア語と英語はネイティブレベル。ここまではそうか、と納得。
しかしこの人はフランスの大学とオーストラリアの大学とのジョイントプログラムでパリで学位記を取得。ということでフランス語も堪能。 そして専門は数学で、主席でパリの大学を卒業。また、現職はドイツの教育機関でリサーチャーとして働いている。。ということはドイツ語もできる!? 

こんな天才が育った国はどこかというと、オーストラリアであった。 
オーストラリアという国は創造性をとても大事にしているということが、申請書に添付される「推薦文」を読むとわかる。例えば、こんな推薦文がオーストラリアの政府機関のリサーチグラントオフィサーから添えてあった。 
・・・His enthusiasm for science is greatly complemented by his tendency to think laterally and dare to try something different. He has proven me wrong on a number of occasions.....

"think laterally"というのは「違った角度から考える」ということである。

 
日本では違った角度で物を言うとけむたがられる傾向があるが、オーストラリアは常に果敢に新しいことに挑戦し、ときには上司や指導教官をも何度も「間違っている」と証明することはウェルカムなのである。 

余談ではあるが、私が以前IT関連の外資系会社で働いていたときも、クリエイティブな考え方を持っていて、次々に思い切った改革をする役を任されていた人は、数々の職歴を持ち、数年単位の契約で来ていたオーストラリア人のおもしろくて、とても人間味あふれるコミュニケーションの達人だった。 

オーストラリアもこれだけ優秀な人材がいても、なかなか生かす場所がないし(=仕事がない)、それだけの給料を払ってやれないという事情があるらしい。

そういう人たちを受け止めてあげられる器をもった日本という国は素晴らしいと思う。
日本人というのは本当に他者に対して親切で優しく寛容で、まるで人を育てる「母」のようなところがあると思う。
また、日本の持つ研究施設も日本人の世界一の手先の器用さから生まれた最先端の機器で満ち溢れている。これも外国人研究者にとってはあこがれの的である。
ただ一つの問題といえば、やはり外国からの研究者との英語でのコミュニケーションがなかなかうまくいかず、途中で期間を早めて帰ってしまう外国人研究者も多いのも事実。 

先日ある推薦機関からの代表者も、「日本に行って言葉が通じるかどうか心配する申請者も多い。コミュニケーションの不安は大きい」と言っていた。

日本人がもっと英語でのコミュニケーションができるようになれば、日本は本当に世界中から尊敬され、慕われる国になると思う。 (ぜひアラビア語を見てみてください。きっと英語にもっと親しみを感じると思います)