2011/02/25

Taiwanese American

■Taiwanese American
台湾系アメリカ人 

Imagine.

You have been just asked to guide guests from overseas.
You have only one day to show them around in Tokyo.

Where would you take them and how would you introduce Japan?
What would I do? I'm glad to share my recent experience with you.

A good friend of mine in California who is a Taiwanese American woman visited me last week with her 86 years old mother and her childhood friend.

I welcomed them with a big hug (California style...I love it) and we took a bus tour visiting Tokyo tower, Imperial Palace and Asakusa with an English speaking guide.
We got off the bus at Asakusa and explored Ueno area.

【コメント】

さて、アメリカ人の友人に聞かれて困った質問です。
浅草でアサヒビールの本社の目立つ金色のオブジェは何を表しているのか聞かれました。
全くわからなかったので、「宿題」にしてもらってあとでメールすることにしました。
http://en.wikipedia.org/wiki/Asahi_Beer_Hall

さらに浅草で、「なんでこんなに暑いのに、今だに着物を着ている人がいるの?」と聞かれました。
特にカリフォルニアはジーンズとスニーカー、Tシャツの人だらけで、日本のようにきちっとした格好をしていると、「どの時代からタイムスリップしてきた人?変な人。」と見られるのです。

それで、着物を着ている日本人が普通にいるのを見てかなり衝撃を受けていました。
「お茶とかお花の習いごとをしている人はよく着ているよ。」とか「着物がファッションとして好きなんじゃないかな」とか「有閑マダムの趣味で多いよ」とかなんとか言いましたが、なかなか一つのことを説明するのもこれでいいのかなと迷うことばかりでした。

しかし、ガイドという職業は「民間大使」の役割もあり責任重大だな。。と思いました。
ガイドの印象=日本という国の印象ですよね。 

【~台湾系アメリカ人について~】

つい先日ロサンゼルス在住のアメリカ人の友人モニカと彼女のお母さん、彼女の幼なじみの友人の3人の東京案内をしました。

たいていの日本人はアメリカ人といったら白人を想像する人が多いかと思いますが、 
3人とも台湾系アメリカ人(25年くらい前に台湾から移住)で、見た目は日本人とほとんど変わりありません。

浅草で彼女たちは中国人だと思われてしまい、“中国人として尖閣諸島領有権問題についてどう思いますか”とテレビ局の人にインタビューされて、“私たちは中国人じゃない、アメリカ人だ”と答えていました。

アメリカ人とは言っても祖国台湾に対して深い愛着と誇りを持っています。
日系アメリカ人が日本に対して抱く強い愛着やあこがれに似ていると思いました。 
モニカのお母さんはなんと86歳です。
米国に住んでもう、数十年の月日が経ちますが、彼女が一番話しやすい言語は日本語なのです。
なぜだかわかりますか?

それは台湾が日本に占領されていたときに、日本語の教育を徹底的に受けたからだそうです。(支那事変《日中戦争》1937年から1945年のため)
モニカは日本語は聞いたら7割くらいはわかるけど、しゃべることはできません。

だから私とモニカは英語で話しますが、そうすると、お母さんはわからなくなってしまうので、こんどはモニカが私たちの会話を台湾語で通訳します。 

モニカの友人は同じ台湾出身でも中国から移民してきた両親の下に生まれたため、中国語はわかりますが台湾語の会話はわかりません。

(台湾語と中国語を比べると、台湾語のほうが8つのイントネーションのバリエーションがあって、中国語よりかなり単語の聞きわけが難しいとのこと)

なので、共通の言語は英語かなと思いきや、モニカのお母さんは「私が台湾にいるとき、日本人の先生が英語を教えたけど、その先生が全然英語だめで下手だったたから私、英語今でもだめよ。アメリカに何十年いても、英語より日本語のほうがいいの。」とのことでした。
(一体日本の英語教育って何なのだろう?) 
 
モニカのお母さんは本当はアメリカより日本に移住したかったそうですが、日本は移民法が厳しかったので、しかたなくアメリカに移住を決めたそうです。 

私はモニカのお母さんになぜ祖国台湾を出なければならなかったのですかと聞くと、「台湾は暑いのよ。一日に2度も3度もシャワーを浴びなくちゃやっていられなくなるほど、夏は暑いから」というのともう一つはアメリカでより良い仕事のチャンスが医者であるご主人にあったからだそうです。
 
モニカのほうはうらやましいことに英語の壁を完全に超えて、米国最大手電話会社のセールス部門のマネージャーをしています。

彼女の強みは、台湾語に加えて中国語ができることにもあります。(彼女の時代は母親と違って台湾が日本ではなく中国に支配されるようになったため、台湾語は学校で禁止され、中国語を強制的に習わされたとのことでした。しかし、このことが生きていくための強みになるとは、人生何がどう好転するかわかりませんね。私から見ると英語しかしゃべれないアングロサクソン系アメリカ人たちのほうが気の毒です。)  

彼女が管理職になって最初の悩みは部下になった白人男性が自分の言うことを聞いてくれるかということだったそうです。

彼女は話すとネイティブではないので、ほんの少し台湾語のアクセントが入っていますが、英語の文章を書かせたら彼女の右に出るものはいないくらい完璧です。
その上、指示が的確で論理的にも筋が通った話ができるので、白人男性も彼女に逆らうことはないそうです。  

よく人に仕事を引退したら歴史物のWriterになれば成功するよと言われるそうです。  
そんなすごい彼女ではありますが、雰囲気は非常に謙虚で、誰に対しても親切、またユーモアのセンスが抜群で人を笑わせるのが大得意です。
 
そういうわけで、お客様の心をつかむのもうまいので、この不況で次々と“英語しかできない”白人男性がリストラされるなか、中国人の顧客も確保できる彼女は安泰です。 
現在モニカは50代前半ですが、60代まで働くと言っていました。

私がモニカに“なんで、そんなに英語ができるようになったの?”と聞くと、彼女は“私は歴史が好きだから、好きな本をとにかくひたすら読んだのよ。そしたら、いつのまにか、自然にうまく書けるようになったの。” 秘訣を教えてくれました。
 
私はこの前、付け加えるのを忘れてましたが、英語の発展段階としてReadingもListeningと同様非常に大事ですね。
毎日インプットすることが大事だし、アウトプットもやろうとしないと自分がどこでつまずいているのかわからないので、なかなかMotivationが刺激されません。
   
あと中国系の人に対して持っていた誤解について。。
私は中国人という人種は積極性のかたまりで、英語があまり通じないからといって気にしたり、傷つくなんてことはないかと思っていました。
これはもうDNAが根本的に違うのではないかとまで疑っていたものです。 

ところが中国人の両親に育てられたモニカの友人とじっくりお昼ご飯をいただきながら話していたら、彼女は同じアジア系の人たちと話すときは英語で全然問題ないけど白人と話すと何度も"What?" "Huh? " と言われて”ほんと何度も傷ついたわよ!”( I was hurt many times! ) と胸を押えながら真剣に言っていたので驚き、と同時に親近感がわきました。 
そうか、みんな同じ悩みを持ちながら、ここまで来たんだなと。

Isn't it time for us to conquer our fear and move on to the next level of evolution? 

0 件のコメント:

コメントを投稿